本当に知っておきたかった、か?
JAM LOG さんの「知っておきたかったこと」を読んで 、xaborger さんの xaborger : 多くを... 其の二、を拝見。
なぜ「!」とわたしの琴線に触れてしまったのか省みてみました。
端的に言えば、筆者が書いていて --- kaz さんも引用している --- 部分に心臓をつかまれたから、でしょう。もう一回、引用しておきます。
高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに無駄にしたってね。君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと思っているなら、きっと後悔することになるよ。
もっと踏み込んだことを書くと、この筆者の書いていることはあまりに優等生過ぎるような気もしてます。例えば今わたしが書いているようなウェブの文章だって、実際にキーボードをたたく時間の前に iTunes で曲を選んだりぼんやりとテレビを眺めたり週刊誌をめくったりという一見無駄に思える「助走」があって初めて書ける場合もあるわけだし、高校時代も大人になる前の「無駄だという意味で無駄ではない」時間の過ごし方だとも言える側面もあると思っているんですよ。
でもしかし、こういう考え方をあえて(と、わたしには思えるのですが)筆者は否定してます。それは二つの理論を選ぶときに、一方は怠惰であることを正当化するものだとしたら、たぶんもう一方の理論が正しい
という表現にも見えてます。わたしは、努力、勤勉、誠意、真摯、これらの眩しさにめまいを覚えたというのが、正しい表現なのかもしれません。
この文章が、まっすぐな正論であること、下手すると笑いさえもれてきそうな説教臭いオトナの意見のひとつ
である正論であるがゆえにズシッと来たのではないかと思います。裏の裏をかかれた、というか。
そしてさらに、いい年こいた大人であるわたしの心に届いてしまった文章が高校生に向けて書かれたものだということが、さらに動揺させたのです。高校生にこういうことを語りかけられる大人がいて、おそらくは理解し実行できる高校生もいるだろうに、何やってんだ、俺は、ということなんですね。
もうひとつ。こういう風に人生を俯瞰して分析してる、ある意味大人な自分に対してなんか一抹の寂しさを感じ
ていることもあります。確かに。
自分の過去そして現在について自身がどう思っているかというのが、この文章への反応でわかるんだなぁと感じた睦月の夜、でした。

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